祈りのすすめ

こんばんは。 

今年もいよいよ終盤となり、一つの新たな区切りを迎えようとしています。 
皆様はいかがお過ごしでしょうか。 

今回は皆様に「祈り」についてお話したいと思います。 

私は人前で「祈り」についてお話する機会がよくあるのですが、多くの方が祈りに対して「漠然としたイメージしか持っていない」と日々感じております。 

それでは漠然としていない、明確な祈りとは一体何なのか。 
それが今回のテーマです。 

「祈り」と聞くと皆様はどのようなイメージ、光景を思い浮かべますか。 
宗教、胸の前で手を組む、神社仏閣、色々連想できますね。 
「祈り」と言う言葉を聞くだけでバカバカしいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。 

私が見てきた中で祈りに対して一番多い勘違い、それは「祈り=縋り(すがり)」と混同した考え方です。 

例えばある問題に直面してどうしようもないとき、自分の信じる神(あるいは他の対象)に縋る思いで祈る。 
問題をどうにか解決してくれ、こうなってくれとただ祈る。 

上記の例では祈りが問題解決に対する「手段」になっていることにお気付きでしょうか。 
例えば頼んだ対象に超常の力があればそれは「手段」として正当なものになり得るのかもしれません。 
しかし我々人間は経験則でそのような都合の良い超常は存在しないと気がついています。 
それを踏まえるとこの行為はまさしく神頼み、「縋り」なのです。 

バカバカしさを感じる人はこのような縋りに対して、印象を持っておられるのではないかと思います。 


それでは縋りではない真の「祈り」とは一体何なのでしょうか。 

私は「祈りは動機であり、気付きであり、信念の形成である」と考えております。 

例えば愛されたいと祈る時、人は求める愛の価値に気が付きます。 
そして明確な価値を持った愛を掴み取るため、行動を起こそうと決意します。 
この決意を薄めないために「愛されたい」と祈ることを習慣にすれば、やがてそれはあなたの「信念」となります。 
信念はあなたの根本を支え、日々の努力の結果としてやがて目標は成就されるのです。 

人生は継続力によって実りある物へと変わります。 
祈りはあなたに真の価値を教えてくれます。 

もしあなたが今何かを求めているのなら、「祈り」を習慣にして価値を知り、行動を起こし、信念を形成してみましょう。 
上辺だけではなく、心の底から掴み取る力を形成しましょう。 
それは決して難しいことではありません。 

「信念を作る祈り」に形式はありません。 
朝起きて鏡を見た時に「~がほしい」と祈るだけでも構いません。 
やがて祈りの時間が有意義なものだと気がついた時、あなたには自然と祈りが身についているでしょう。 

祈りは決して超常に縋るだけの、目的達成の愚かな手段ではありません。 
祈りは現実的で、得る物の価値や尊さを明確にし、実際に得るまでのプロセスなのです。 

~自然の雄大さに祈るとき、あなたは自然の真の価値に気が付きます~ 
~愛を求め祈るとき、あなたは愛の真の価値に気が付きます~ 
~価値を知ることであなたは尊さも知ります~ 

~あなたの心に尊いものがひとつ増えるごとに、あなたの人生はより豊かなものへと変わっていくでしょう~