日本の若者「自分への満足感」最も低く… 若者を育てたのは誰だ?

 

日本の若者「自分への満足感」最も低く

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140603/k10014928371000.html

 

 

これは若者のせいではありません。

若者が受けた教育のせいです。

家庭、学校、社会。

あらゆるものから受けた影響の結果です。

 

どの問題も因果関係を無視しては本質が見えてきません。

人格の形成には必ず「自分以外の人や集団」から受けた影響という欠かせないピースが必要になります。

 

若い世代は自分たちを蔑むのではなく、自分たちはただ悪影響を受けてきただけだと知るべきです。

その上で、直面している課題を乗り越えていかなくてはいけません。

 

到底払えない金額を請求されている方へ(家賃滞納、借金滞納、あらゆる民事請求、払えない)

本日は借金や何らかの滞納などにより到底払えない金額を請求されている方へのアドバイスを記事にします。

毎日電話がかかってきたり、何回も請求のはがきが届いたり、裁判所から通知が届いたりで夜も眠れない方は必見です。

 

~はじめに~

払えないものは仕方ありません。

計画に無理があった、見通しが甘かったなどの反省は「今後」に活かせばよいのです。

だからあなたは払えないことを誰かに責められたりしても気にする必要はありません。

まず大切なのは自分や家族の生命、生活です。

請求する側も何だかんだ御託を並べながら、結局は自分や自分の群の人間のためにあらゆる手段を用いて請求しようとしているのです。

だからあなたも自分や家族を守るため、あらゆる手段を取るべきなのです。

 

たかが数百万程度の金で命を落とす必要はありません。

数千万、それ以上でも何らかの救済手段は用意されています。

一番強いのはあなた、持っていない側の人間なのです。

本当に持っていない人間からは誰だってお金を取ることは許されていません。

 

~まずは逃げない~

これが一番重要です。

家賃滞納の記事でもお話しましたが、逃げてその場しのぎの回避することには何の意味もありません。

もちろん誰だって催促の電話には出たくありません。

お金に困っている人なら尚更、電話やはがきは恐怖そのものでしょう。

でも、その恐怖から逃げたところで問題は解決しません。

 

確かに追い詰められて死ぬよりは逃げたほうがいいこともあるでしょう。

しかしそれは最終手段です。

 

借金から逃げた人を何人か知っています。

しかしその多くがあらゆるものを犠牲にしています。

その犠牲は借金の額よりもはるかに大きいものです。

 

一生取り立ての恐怖に怯えて生きていく必要はありません。

恐怖は必ず克服すべきなのです。

そして、恐怖を克服するためには扉を開けなくてはいけません。

実際に恐怖と向き合い、「何だ、この程度なのか」と身を持って知ることが一番あなたのためになりますよ。

 

~払えない、無いと宣言する~

電話に出たらまずは必ず経済的に困窮していること、払えないことを伝えましょう。

分割での支払を提案されるかもしれませんが、お金がないのならそれも払えないとしっかり答えましょう。

 

取り立ては実に巧妙です。

時には優しく、時には厳しく、あなたの罪悪感やあらゆる感情を揺さぶりながら巧みに返済を迫ってきます。

 

ですが、ここで屈してはいけません。

あなたが一番優先すべきは自らの生活や、家族の生活です。

債権者の生活はあなたにとって優先すべきものではありません。

食費を無理に削ったり、必要な経費を削ってまで返済する必要はないのです。

無いものは無い、としっかり宣言しましょう。

 

親戚に借りることを提案されることもありますが、保証人になってすらいない人に支払の義務がないのは周知の事実です。

ですから、「支払い義務がない人に頼ることは出来ません」としっかり伝えましょう。

 

いつなら払えるか、と言うこともまたよく聞かれます。

見通しが立っていないのであれば正直に答えましょう。

何を言われても、「現段階では見通しが立ちません」とだけ答えればいいのです。

拳や制裁が飛んでくるわけではありませんから、相手の声に怯える必要もありません。

無いものは無い、それを伝えればいいのです。

 

~そして裁判へ~

金額にもよりますが、少ない場合にはそのまま請求が終わるもの、それ以外には裁判になるケースもよくあります。

 

裁判と聞くとビビってしまうのが我々日本人ですが、お金や資産が本当に無いのなら別に怯える必要はありません。

債務不履行の裁判は「民事裁判」です。

別に捕まったり、刑罰を受けることはありません。

支払の判決が出ても、ないものを強制的に取り上げることも出来ません。

こうなればもう債権者はお手上げです。

 

債権者には強制執行、俗にいう「差し押さえ」の権利がありますが、この差し押さえもテレビで見るような「家財道具がすべて運びだされる」ようなものではありません。

実は差し押さえできるものには厳しい制限が設けられているのです。

以下に簡単にまとめます。

 

・生活必需品は差し押さえできない(テレビやタンス、冷蔵庫などまで持って行かれない)

・仕事上必要な物は差し押さえできない

・66万円以下の現金も差し押さえできない(2ヶ月分の生活費)

・給与は4分の1まで(生活できないような金額になる場合、裁判所に申請して減額もある。尚、勤め先がわからなければ差し押さえるのは難しい)

・口座の差し押さえも出来ますが、お金が入っていなければ空振り

 

悪徳業者には本来差し押さえが禁止されているものを差し押さえるところも見受けられます。(年金や生活保護、その他)

この場合には必ず一週間以内に「執行抗告」の手続きを取りましょう。

手続きをとらなければ差し押さえされてしまいます。

 

財産がない人の場合は「差し押さえするぞ!」の脅しが来ることはあっても、実際に差し押さえにまで到るケースはほぼありません。(そもそもあっても取られるものがない)

 

また、差し押さえにはお金もかかりますから、債務の金額が少ない人ほど差し押さえは受けません。

 

債権者の差し押さえ予告は殆どの場合、揺さぶりをかけてお金を吐き出させようとするための交渉カードです。

財産も何もない人は怯える必要はありません。

 

 

 

 

裁判に慣れば「詰み」ではなく、あなたの「勝ち」です。 (微妙な表現ですが)

 

催促がなくなった後は、もう一度自分のお金の使いかた、計画の建て方について考えなおしてみてくださいね。

 

債権者の言う「誠意ある対応」とは多くの場合、「彼ら(債権者、取り立て人)にとって都合のいい対応」のことです。

あなたは決して逃げずに自分の身を守ってください!

私がスピッツを愛し続ける3つの理由

今回は私がスピッツを愛し続ける理由についてどうでもいいことを。

 

私はスピッツが大好きです。

十代の頃なんかは一日十二時間毎日聞いていた年もありました。

イントロの一音だけでどのアルバム、どの曲かを当てられるくらいには聴きこんでいます。

人生の節目節目、様々な出来事を思い出すよりもその頃よく聞いていたスピッツの曲が浮かんできます。

大手CDショップで働いたキッカケもまたスピッツでした。

真剣でコアなファンの方には怒られてしまうかもしれませんが、今回は私がスピッツの何処に魅力を感じているのかについて個人的なものをまとめあげる記事でございます。

 

私がスピッツを愛し続ける3つの理由

1 理解不能なのに理解できる気がする名フレーズ達

スピッツを聞き続ける理由を探した時、一番最初に浮かんだのがこれでした。

歌詞がいい意味で独創的、もう完全にスピッツの世界観なんですよね。

何故ココとココが繋がるのか理解できないけどなんとなくわかる気がする。

スピッツの名曲たちは私をそんな気持ちにさせてくれます。

 

実際に例を上げてみましょう。

 

「逆風に向かい手を広げて 壊れてみよう僕たちは希望のクズだから」

 インディゴ地平線 より

 

「このまま止めないで ざわめき避けないで ほら眩しい
不思議な出来事は 君へと続いてる ルナルナ」

 ルナルナ より

 

「誰よりも早く駆け抜け  LOVEと絶望の果てに届け

君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ」

 8823 より

 

「どうでもいい季節に革命を夢見てた 公衆トイレの壁に古い言葉並べた」

 スーパーノヴァ より

 

「希望のクズ」という新ワードをぶち込んできたインディゴ地平線。

何故か突然眩しくなったルナルナ。

「LOVEと絶望」という一見離れていそうなワードが同時に扱われつつも、なんとなく理解できる8823。

どうでもいい季節に革命を夢見てるとか何となく理解できませんか?なスーパーノヴァなど。

 

ほら、何となく理解できませんか。

何となくわかった気になることの連続、これが私的スピッツの愛する点です。

 

2 かゆいところに手が届く表現のセンス

次に浮かんだのはこれでした。

スピッツの曲には何度も繰り返したくなるような印象的なフレーズがあるんですよね。

日常の中で誰もが感じつつも言葉に中々出来ていない部分。

スピッツはそんな「かゆいところに手が届くフレーズ」を私に与えてくれました。

これも例を見てみましょう。

 

「幸せは途切れながらも続くのです」

 スピカ より

 

「抜け出したい気持ちなら 桜が咲く度現れる」

 三日月ロックその3 より

 

「初めて本気でかわいいハチに刺された」

 稲穂 より

 

「油で黒ずんだ 舗道に へばりついたガムのように

 慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて」

 鈴虫を飼う より

 

「ハニーハニー It's so brilliant!!」

 ハニーハニー より

 

人生の起伏を表したお馴染みスピカの名フレーズ。

人生の節目、春。そんな季節に湧いて出てくる変化の願望を如実に捉えた三日月ロックその3の名フレーズ。

今までの恋とは違った真剣な想いを巧みに表現した稲穂の名フレーズ。

鈴虫を飼うのフレーズは扱いとして前項目のような気もしますが、私が一番好きな歌詞なので。

とにかく素晴らしいハニーハニー。

 

どれも名フレーズ。

いつまでも聞いた者の心に残り続けるその影響力もスピッツを愛する理由の一つです。

 

3 もはや理解不能 ロックなフレーズ達

スピッツを素人ながらに語るとしても、これはやはり外せませんね。

論より証拠、まずは例を見てみましょう。

 

「お前の最期を見てやる 柔らかい毛布にくるまって」

 ビー玉 より

 

「うめぼしたべたい うめぼしたべたい僕は今すぐ君に会いたい」

 うめぼし より

 

「僕のペニスケースは人のとはちょっと違うけど
 そんなことはもう いいのさ」

 波乗り より

 

「こっそり二人 裸で跳ねる」

グラスホッパー より 

 

逆に何が彼をここまで追い込んだのか知りたくなるビー玉。

熱烈なまでの紀州応援ソング、うめぼし。

「吹っ切れてよかったね」と安心した気持ちにさせてくれる波乗り。

こっそり跳ねるところを想像すると暖かな気持ちになることができるグラスホッパー

 

どのフレーズも単体で見れば尖りまくりまさにスピッツって感じの表現ですね。

この尖り具合、ロックな魂にこそ真のスピッツを感じるのは私だけではないはずです。

 

でもどれもすごくいい曲なんですよ。

ぜひ聞いてみてください。

 

 

以上が私がスピッツを愛し続ける3つの理由です。

CM曲くらいでしかスピッツを知らなかった方はこれを機にアルバムを手にとって貰えれば嬉しいです。

ちなみにネガキャンではありませんからね。。

私は本当にスピッツの大ファンなんですよ!

 

 

 

家賃滞納したら家財撤去され 「追い出し」違法と提訴

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140417/trl14041714180001-n1.htm

 

 

自力救済はダメなんです。

大家さんからすれば「先にルールを破ったのは君だ」かもしれませんが、あなたもルールを破っていい根拠にはならないんです。

こうなれば必ず裁判で負けます。

 

滞納者の方々。

家賃は払いましょう。

払えないならそれ相応の物件に引っ越しましょう。

国からお金を借りることも出来ます。

 

 

最初から払う意思のない人も残念ながら存在します。

 

ですが、払いたくても払えない人だって存在するのです。

例えば自力救済が認められて、そんな人を追い出したらどうなるのか。

今では貸主の立場が弱い、と耳にすることがあります。

そんなことはありません。

今も昔も貸主、資産家が圧倒的に強いのです。

 

今まで不当に通してきた資産家の常識が通らなくなってきているだけなのです。

権利は小さくなったかもしれませんが、依然として資産家は強いのですよ。

 

親離れ 子離れ【親同士が代理お見合いするというニュースを見て】

親同士が代理お見合い? 「放っておけない」「藁をもつかむ気持ち」…奈良で80人が参加

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140417/wlf14041710350009-n1.htm

 

自分の子供がいつまでも独身でフラフラしている

 

未婚、晩婚化が進む中、日本中の親がそんな悩みを抱えているのかもしれない。

子どものために力になりたいというのもまた親の気持ちであることは間違いない。

しかし、これは些か過干渉気味ではないだろうか。

 

親と子、血は繋がっていても他人であるというのは私の持論である。

他人というと日本語的に冷たいような印象を受けるかもしれないが、個別の考え方を持った存在と考えると親と子ですら「他の人」なのだと思っている。

 

家族という群れの中、人格形成段階のある時期から子どもは親の言うことを拒否するようになってくる。

親の言うことを拒否するというのは「子の自我」の正常な発達の指標となる。

拒否は自我の同化を防ぐ対処法。

反抗期を境に譲れぬ自我が子どもにも現れたのである。

 

多くの正常な親は子どもの「ささやかな抵抗、自我の芽生え」を好意的に受け止める。

自分の意見をもつくらいに成長したのかと嬉しさを感じる反面、子供が自らの手を離れていく悲しさも感じる。

しかしその悲しさに支配されることは決してありえない。

我が子の成長を理解し、これを機に子どもとの関係をより「対話重視」にしていこうなどと決意を新たにする。

 

正常な感覚の親を持った子どもは親との対話の中で認められたり、諭されながらより強固で肯定感を持った自我を形成していく。

互いが独立した思考を持った「他の人」であり、だからこそ一方的な保護ではなく互いに尊重し合える親子関係がそこに生まれるのだろう。

 

だが、一部の親は我が子の「ささやかな抵抗、自我の芽生え」を自分への「攻撃」だと認識してしまう。

攻撃されたからにはねじ伏せなくてはいけない。

そういった歪んだ思考がこのタイプの親の中には存在する。

子どものやることを徹底的に否定し、自分の言う通りにすることを文字通り「強制」するのだ。

友人関係の否定、恋愛関係の否定、能力の否定、自我の否定。

自らを否定され続けた子どもは肯定的な自我など持てるはずもなく、あらゆる社会性を欠いたタイプへと分化していく。(もちろん親の姿を反面教師に正常な自我を形成できる子も存在しますよ)

 

こういった親に育てられた子どもは圧倒的に「自己肯定感」が不足している。

長年のカウンセリングの経験で出会った多くの悩みを抱えた人々が、同時に自己肯定感の不足も抱えていた。

 

自らには魅力や能力がないと考え、そういったものが求められる場を回避する(攻撃する)人。

自らを肯定する根拠を持たないため、親しい人間に根拠の提示を求め続ける依存的な人。(特に恋愛関係で顕著。相手の気持を確認し続けたり、少しでも自分を否定されるとヒステリーを起こしてしまう)

 

何故、一部の親は子どもの自我を認めることが出来ないのだろうか。

私は一部の親の「親子関係」に対する認識がズレていることが原因だと考えている。

彼らは自分と子どもの境界が非常に曖昧、もしくは完全に同化してしまっているのだろう。

 

親と子の同化はまさしく「親による我が子の所有」である。

親の忠実な所有物である子どもは「親の意見に逆らってはいけない」のだ。

 

また、こういった親は愛情表現においても著しい偏りを見せる傾向にある。

自分の思う通りにするものを褒め、それ以外は全てを否定する。

愛情が一貫しないのである。

愛情が一貫しない親に育てられた子どもは常に親の顔色をうかがい、大人になっても人の顔色をうかがい続ける。

 

実は近年騒がれているモンスターペアレントも上記のようなタイプの親であることが多い。

彼らは自分と子どもを切り離せていないので、子供が受けた些細な被害を自分への攻撃だと認識してしまうのだ。

「過剰な親子愛」という行き過ぎた愛情の問題だと捉えられがちだが、実際には「異常な親子関係」による二次被害なのである。

 

 

以上を踏まえた上でもう一度考えてみたい。

果たして子供の結婚問題は親が率先して踏み込んでいくべき問題なのであろうか。

そこまで親に面倒を見てもらわなければいけない依存的な子ども(色々なケースが有ると思うが)は正常な自我を形成できているのであろうか。

 

過干渉な親、依存的な子。

結婚問題以外に見直す点があるのではと思えてならない。

家賃滞納などの理由で賃貸の退去(強制退去)を求められている方へ

今回はタイトルの通り、「家賃滞納などが原因で賃貸の退去を求められている方」を対象とした更新です。

 

家賃滞納が原因で解約を迫られてお困りの方。

まずは紙を用意して以下の点について自分の状況をまとめてみてください。

 

・滞納月数と支払状況

 (滞納1ヶ月だが分納にて収めている、滞納3ヶ月など)

 

※当たり前のことですが、家賃は必ず払わなくてはいけない固定費です。

ですがこのご時世、どうしても収入が不安定になったりして支払の目処が立たなくなることもあります。

解約を迫られる原因を作ったのは間違いなく自分だということを忘れないで下さいね。

 

☆重要☆

 

滞納が3ヶ月未満の方(支払意思と計画がある方)はいくら退去を迫られても、直ぐにサインをして路頭に迷う必要はありません。

 

以下の流れを厳守し、対応すれば任意の解約に応じる必要はありません。

また家主から求める強制解約には条件がありますが、その条件にも当てはまらないので強制解約を迫られる根拠もありません。

 

~流れ~

家賃を滞納した場合、まずは電話による催促が行われます。

 

この電話催促、決して逃げずに対応してください。

今逃げている方は絶対に連絡すること。

逃げ得はありません。損をするだけです。

負い目はあるかもしれませんがまず約束を破ったのはあなた、しっかりと対応しましょう。

 

催促を受けて即時全額支払えるのならそれで良し、ですがこのエントリーをご覧になっている方は払えない方がほとんどだと思います。

その場合には電話口で以下の点についてしっかり主張してください。

 

☆電話で主張すること☆・支払いが滞った事情の説明

・滞納額を少しづつ分納し、支払いの意思を表明する。(月に3000円からでも構いません、通常の家賃に合わせて支払ってください)

 

たったこれだけです。

大切なのは「支払いの意志があり」、「支払の計画を立てている」ことをしっかりと主張することです。

 

話のわかる大家の場合はこれで一先ず受け入れてくれるでしょう。

受け入れてもらったら、滞納回復に努めてしっかりと毎月遅れずに入金していきましょう。

 

問題は話の通じない大家さんの場合です。

支払の計画を伝え、意思を表明しているにもかかわらず退去を迫られることがあります。

 

通常、賃貸契約の強制解除は正当な事由がなければ認められません。

滞納が長期間ではなく、支払いの意志が表明されている場合(もしくは実行されている場合)は強制解約の正当な事由を「満たしません」

 

そもそも強制解約を求めるには裁判を起こし勝訴する必要があり、大家からの一方的な通告のみでは解約実行は不可能なのです。

 

大家は当然その辺りの法律を熟知しています。

だから強制解約という表現を避け、「解約の同意書にサインしてもらう」などの提案をしてきます。

解約の同意書にサインを貰うことができれば、強制解約ではなくなりますから、裁判の費用も手間も省けて一石二鳥なのです。

 

ここからが重要です。

同意書へのサインを求められたとしても「サインする義務はありません」

☆例え賃貸契約書に「2ヶ月の滞納で強制解約」などと書かれていても従う義務はありません。

民法90条に「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。 (wikipediaより)」としっかりと定められている通り、正当な事由と認められるべき事実がない限り解約を強制することはできません。

こういった特約を根拠とした退去への同意を求められた場合にはしっかりと拒否しましょう。

 

悪質な大家は必死です。

しっかり拒否しても「収入的にここに住むのは無理じゃないか、誠意を見せてくれ、社会の常識がなんたらかんたら」と法律外の自分ルールや勝手な推測を押し付けられるかもしれません。

 

その場合にはしっかりと「あなたは(この会社は)法律よりも自分のルールを優先するのですか。」と問いただしましょう。

 

世間の常識なんて言うものにしっかりとした基準はありません。

大家の言う常識は大家の常識です。

人の常識が違う社会、その中で起こる様々な問題を解決するために法は存在しているのです。

自分ルール、法律を超えたルールが世の中で運営されれば社会秩序は乱れ、単純に立場の強いものの主張だけが認められる社会になってしまいます。

 

それでも解約について言われるのなら、しっかりと内容証明便などを利用していただき解約の根拠などを述べていただきましょう。

 

何度も言いますが、滞納している状態が揉め事のそもそもの原因です。

しっかりと意思表示をした後は、返済に向けてシャキシャキ働きましょうね。

 

以上が裁判を通さずに行われる不当な退去、解約要求に対する対処法です。

 

ただし!

・今後家賃を支払う意志がない

・そもそも今後継続して家賃を払い続ける収入がない、またその状態を解消しようと努力をしていない

 

以上の人は別の手段が必要です。

家賃を支払う意思がない方はそのうち裁判を通して本当に追い出されます。

収入もなく、見込みもない方は各都道府県の保健福祉局に直ぐ相談してください。

 

 

 

 

 

祈りのすすめ

こんばんは。 

今年もいよいよ終盤となり、一つの新たな区切りを迎えようとしています。 
皆様はいかがお過ごしでしょうか。 

今回は皆様に「祈り」についてお話したいと思います。 

私は人前で「祈り」についてお話する機会がよくあるのですが、多くの方が祈りに対して「漠然としたイメージしか持っていない」と日々感じております。 

それでは漠然としていない、明確な祈りとは一体何なのか。 
それが今回のテーマです。 

「祈り」と聞くと皆様はどのようなイメージ、光景を思い浮かべますか。 
宗教、胸の前で手を組む、神社仏閣、色々連想できますね。 
「祈り」と言う言葉を聞くだけでバカバカしいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。 

私が見てきた中で祈りに対して一番多い勘違い、それは「祈り=縋り(すがり)」と混同した考え方です。 

例えばある問題に直面してどうしようもないとき、自分の信じる神(あるいは他の対象)に縋る思いで祈る。 
問題をどうにか解決してくれ、こうなってくれとただ祈る。 

上記の例では祈りが問題解決に対する「手段」になっていることにお気付きでしょうか。 
例えば頼んだ対象に超常の力があればそれは「手段」として正当なものになり得るのかもしれません。 
しかし我々人間は経験則でそのような都合の良い超常は存在しないと気がついています。 
それを踏まえるとこの行為はまさしく神頼み、「縋り」なのです。 

バカバカしさを感じる人はこのような縋りに対して、印象を持っておられるのではないかと思います。 


それでは縋りではない真の「祈り」とは一体何なのでしょうか。 

私は「祈りは動機であり、気付きであり、信念の形成である」と考えております。 

例えば愛されたいと祈る時、人は求める愛の価値に気が付きます。 
そして明確な価値を持った愛を掴み取るため、行動を起こそうと決意します。 
この決意を薄めないために「愛されたい」と祈ることを習慣にすれば、やがてそれはあなたの「信念」となります。 
信念はあなたの根本を支え、日々の努力の結果としてやがて目標は成就されるのです。 

人生は継続力によって実りある物へと変わります。 
祈りはあなたに真の価値を教えてくれます。 

もしあなたが今何かを求めているのなら、「祈り」を習慣にして価値を知り、行動を起こし、信念を形成してみましょう。 
上辺だけではなく、心の底から掴み取る力を形成しましょう。 
それは決して難しいことではありません。 

「信念を作る祈り」に形式はありません。 
朝起きて鏡を見た時に「~がほしい」と祈るだけでも構いません。 
やがて祈りの時間が有意義なものだと気がついた時、あなたには自然と祈りが身についているでしょう。 

祈りは決して超常に縋るだけの、目的達成の愚かな手段ではありません。 
祈りは現実的で、得る物の価値や尊さを明確にし、実際に得るまでのプロセスなのです。 

~自然の雄大さに祈るとき、あなたは自然の真の価値に気が付きます~ 
~愛を求め祈るとき、あなたは愛の真の価値に気が付きます~ 
~価値を知ることであなたは尊さも知ります~ 

~あなたの心に尊いものがひとつ増えるごとに、あなたの人生はより豊かなものへと変わっていくでしょう~