知識は印象を超える。
インターネットが普及し、日常的にネットにアクセスする習慣がある私たちが日々得る情報量はとても多い。
日常生活で役立ちそうな情報から、思わず二度見してしまうような刺激的な情報までラインナップは様々です。
さて、皆さんは「メディア・リテラシー」という言葉をご存知でしょうか。
簡単に説明するならメディアから受け取ったものを取捨択一して正しく判断、活用する能力のことをこう呼びます。
ご存知の通りネット上の情報は玉石混合、どの情報が正しいのかという判断は文面だけでは不可能ですね。
そこで私たちは受け取った情報を取捨択一する必要があるのですが、この取捨択一の過程は果たして「正しく」行われているのでしょうか。
と、ここまでが今回の話題の前置きです。
人間が物事を判断する時には人である以上、どうしても避けては通れない判断基準があります。
それは「第一印象(経験則から直感的に導き出される印象)」と「知識」という判断基準です。
私たちは判断すべき情報に出会った際、まず経験則に沿った印象を情報に付与します。
例えば「本当に効く」ダイエットマニュアルを「太った人」が宣伝しているのを見て、あなたはそのダイエットマニュアルを信用することができるでしょうか。
話す人の「印象」によって情報の信憑性が変わる、ここに人の「第一印象」による判断基準が働いているのです。(話し手の外観だけでなく、情報の大まかな内容に対しても印象は働きます)
人の脳は実にすばらしい構造をしており、論理的に答えを導き出すよりも直感的に経験からすぐさま答えをアウトプットすることができるようになっています。
最初の例を見てみると「太った人」「ダイエットマニュアル」というたった二つのワードから「信用できない」という結果を直感的に導き出していますね。
これを論理的に導き出そうとすると「あるダイエットマニュアルが存在する」→「本当にやせることができるのか?」→「話し手は太っている」→「話し手は実践をしていない(もしくは効果が無かった)」→「信憑性が無い」と、いくつかのプロセスを踏む必要があります。(少し省略しましたがそれでも長いですね)
この経験則に沿った直感的判断を私たちは「第一印象」と呼んでいます。
それでは第一印象は最悪でしたが、もう少し太った人の話を聞いてみましょう。
彼の宣伝しているマニュアルは「本当に効く」マニュアルです。
だから彼はあなたにこのマニュアルがどれほど素晴らしく理に適っているのかを専門用語を交えて説明します。
もしあなたに専門的な「知識」があれば第一印象を乗り越え彼のマニュアルの素晴らしさを実感することができるでしょう。
しかしあなたに知識が無かった場合はどうでしょうか。
いくら彼が説明を繰り返してもその専門的知識が無いわけですから理解ができません。
知識による判断基準が働かないのであれば、あなたは太った人とマニュアルに対して第一印象以上のものを感じることはできません。
これはすっごく極端な例です。
知識が無くても歩み寄る姿勢をとることができればあるいはマニュアルの素晴らしさがわかるようになるかもしれません。
今回はあえて極端な例にしました。
しかし日常生活の中にあふれている例でもあります。
あなたは第一印象によって物事を判断していませんか。
経験からくる偏見で世界を狭くしてはいませんか。
ネットで何かの情報に触れたとき、その印象だけで信じる信じないを決めていませんか。
知識がないと印象を抜け出すことはできません。
勉強しなくてはいけない理由のひとつはおそらくこれでしょう。
今回はそんなお話。